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フェミニストとポリコレ活動家は本当に多様性を理解しているのか?徹底考察

多様性

サイキンノモンダイ...

 

フェミニストとポリコレ活動家は本当に多様性を理解しているのか?】

 

多様性とは、人間社会において、性別、人種、民族、宗教、文化、障害、性的指向などの違いを認め、尊重し、平等に扱うことを意味する。

 

多様性は、人間の尊厳や権利を守り、創造性や協働性を高めるという価値があるとされる。しかし、多様性を推進するという名目で行われるフェミニズムポリティカル・コレクトネスの活動には、多くの疑問や批判がある。

 

本稿では、フェミニストとポリコレ活動家が本当に多様性を理解しているのか、哲学的な視点から考察する。

 

まず、フェミニズムポリティカル・コレクトネスの定義や背景について簡単に説明する。フェミニズムとは、女性の社会的・政治的・経済的・文化的な地位や権利の向上を目指す思想や運動である。

 

フェミニズムは、19世紀から20世紀にかけての女性参政権運動や女性解放運動などの歴史的な流れの中で発展してきた。

 

フェミニズムには、自由主義フェミニズム社会主義フェミニズム、ラディカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど、さまざまな派閥や立場がある 。

 

ポリティカル・コレクトネスとは、差別や偏見を助長しないように言葉や行動を配慮することを意味する。

 

ポリティカル・コレクトネスは、1960年代から1970年代にかけてのアメリカの公民権運動や反戦運動などの社会運動の中で生まれた言葉である。

 

ポリティカル・コレクトネスは、マイノリティーや弱者の権利や尊厳を守るという目的があるが、一方で言論の自由や表現の多様性を制限するという批判もある 。

 

次に、多様性という概念がフェミニズムポリティカル・コレクトネスとどのように関係しているのかを考える。一般的に言えば、フェミニストやポリコレ活動家は多様性を肯定的に評価し、支持する傾向がある。

 

彼らは、女性やマイノリティーなどの社会的に不利な立場にある人々が差別や不平等に直面していると考え、それらを是正するために多様性を尊重し促進することが必要だと主張する。

 

例えば、フェミニストは、男性中心の社会や文化に対抗するために、女性の視点や経験を重視し、女性の声や表現を増やすことが重要だと言う。

 

ポリコレ活動家は、人種や民族などの違いによる差別や偏見を排除するために、人々の意識や態度を変え、多様なアイデンティティーや文化を認めることが重要だと言う 。

 

しかし、フェミニストやポリコレ活動家が多様性を理解していると言えるのだろうか?実際には、彼らの多様性へのアプローチには、多くの問題や矛盾がある。

 

以下に、いくつかの例を挙げる。

 

- フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちと異なる意見や価値観を持つ人々に対して intolerant であることが多い。

 

彼らは、自分たちの主張や目標が正しいと信じており、それに反する人々を敵視し、攻撃し、排除しようとする。

 

例えば、フェミニストは、男性や保守的な女性などのフェミニズムに批判的な人々を misogynist や anti-feminist と呼んで非難し、ポリコレ活動家は、白人や右派などのポリティカル・コレクトネスに批判的な人々を racist や fascist と呼んで非難する。

 

このように、フェミニストやポリコレ活動家は、自分たち以外の多様な視点や立場を認めず、対話や議論を拒否することがある 。


- フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちが代表するグループの内部的な多様性を無視することが多い。

 

彼らは、女性やマイノリティーなどのグループを一様化し、単純化し、固定化しようとする。

 

例えば、フェミニストは、女性というカテゴリーに基づいて全ての女性が同じ利益や目的を持っていると仮定し、女性の中にも存在する階級や人種などの違いを無視する。

 

ポリコレ活動家は、マイノリティーというカテゴリーに基づいて全てのマイノリティーが同じ経験や苦しみを持っていると仮定し、マイノリティーの中にも存在する文化や宗教などの違いを無視する。

 

このように、フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちが支持するグループの多様性を認めず、本質主義的な思考に陥ることがある 。


- フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちが批判するグループの外部的な多様性を無視することが多い。彼らは、男性や白人などのグループを一括りにし、否定的に評価し、責任を問おうとする。

 

例えば、フェミニストは、男性というカテゴリーに基づいて全ての男性が権力や特権を持っていると仮定し、男性の中にも存在する貧困や暴力などの問題を無視する。

 

ポリコレ活動家は、白人というカテゴリーに基づいて全ての白人が差別や抑圧の加害者であると仮定し、白人の中にも存在する多様な文化や歴史などの要素を無視する。

 

このように、フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちが批判するグループの多様性を認めず、ステレオタイプ的な思考に陥ることがある 。

 

以上のように、フェミニストやポリコレ活動家が多様性を理解しているとは言い難いことが分かる。

 

彼らは、多様性を自分たちの思想や運動の道具として利用し、自分たちに都合の良いグループやカテゴリーを作り出し、それらに基づいて人々を区別し、評価し、対立させようとする。

 

これは、多様性の本来の意味や価値とは相反するものである。多様性を真に理解するためには、フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちの思想や運動を客観的に見直し、批判的に反省し、改善しようとする必要がある。

 

また、多様性を尊重し促進するためには、フェミニストやポリコレ活動家だけでなく、全ての人々が、自分自身や他者のアイデンティティーや文化を一元的に捉えず、複雑さや流動性や変化性を認めることが必要である。そして、それぞれの違いや共通点を認識し、尊重し、対話し、協力しようとすることが必要である。

 

母子

ヒツヨウイジョウノオシツケッテシハイダカラネ...



【まとめ】

 

多様性を真に理解することは、フェミニズムポリティカル・コレクトネスの思想や運動にとっても、社会全体にとっても重要である。多様性を理解できなければ、フェミニストやポリコレ活動家は、自分たちの主張や目標が正当化されるという確信を失い、自分たちの思想や運動が社会に受け入れられる可能性を減らすことになる。

 

また、真の多様性を理解できなければ、社会は、人々の違いや共通点を認識し、尊重し、対話し、協力することができず、差別や不平等や対立や暴力が増えることになる。

 

したがって、真の多様性を理解することは、フェミニズムポリティカル・コレクトネスの思想や運動を支持する人々だけでなく、全ての人々にとって必要不可欠である。

 

P.S.ポリコレを商業目的にしている映画業界へ.

 

映画の根底にあるものがアートでありフィクションであることを思い出して欲しい。

 

目の前の金に目が眩むが故に、上記を理解できないのであれば、我々は決して今起こっている誤った思想的な風潮を受け入れることない。

 

この流れが今後も続くのであればエンターテイメントは消えることになるだろう。

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