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ロバーズChapter9 : 鉄塔と歪なドグマ

 

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Chapter9 : 鉄塔と歪なドグマ

 

静謐で少し暗めの照明が当たったトルコ料理店のトイレ。硬質な陶器の洗面台に手をついて立つ、反射する照明がタイチの輪郭を描き出していた。

 

彼は深く息を吸い込み、目を閉じた。顔を上げると、鏡に映ったのは自分の顔だけでなく、この数時間の間に経験した地獄絵図のすべてがそこに刻まれているように見えた。

 

彼の心から湧き上がる感情は、声にならずに溢れ出た。それは、悲しみ、絶望、混乱、そして恐怖。それらが一体となって、タイチの体を震わせ、心を打ちのめしていた。

 

タイチは、自分自身のためにも、そしてこれから向き合わなければならない現実のためにも、気持ちを整理しようとしていた。それは、泣きたくなるような厳しい現実に直面している彼自身にとって、一種の心の浄化だった。

 

トイレの鏡に映る彼自身を見つめながら、タイチは一つ一つの出来事を思い出し、それぞれの感情を確認した。怒り、恐怖、悲しみ...彼はそれぞれに名前をつけ、その感情が自分自身の一部であることを受け入れた。

 

タイチのその行為は、彼が次の種目に向けて心を整理し、強くなろうとする彼の決意の表れだった。

 

再び深呼吸をして、タイチは立ち上がった。その時、ドアの向こうから心配そうな声が聞こえてきた。「お客様、大丈夫ですか?」とウェイトレスの声がこだましていた。

 

ハンドルを握りしめ、彼はトイレのドアをゆっくりと開けた。彼の目の前には、心配そうに立っているウェイトレスの姿があった。彼女の顔は、彼がこれまでに見たものとは異なり、人間らしさを湛えていた。

 

タイチは深いため息をつき、少しの間彼女を見つめてから微笑みを浮かべた。「あぁ、大分すっきりしたよ。」彼の声は、少し落ち着きを取り戻したようだった。

 

彼の言葉にウェイトレスはほっと一息つき、それでもまだ心配そうな眼差しをタイチに向けていた。「もし何かあったら、遠慮なく私に言ってくださいね。」と彼女は言った。タイチは彼女の親切に感謝の言葉を告げると、再び席へと戻った。

 

彼が再び席に着くと、それまでの感情の波立ちはすっかり収まり、心に平穏を取り戻していた。この短い休息時間が、次の種目に向けての準備期間であり、彼自身の気持ちを落ち着かせる重要な時間だったことを、タイチは深く理解していた。

 

夜が深まるにつれて、次の種目が開催される場所へとタイチは足を運んだ。そこには二つの巨大な鉄塔がそびえ立っていた。それぞれはおおよそ100メートルの高さがあり、頂上部までには足場が設けられていた。その雄大さ、その異様さは、タイチの心に直接突き刺さる。

 

会場はすでに異常な熱気に包まれていた。人々の声援、笑い声、そしてどこか遠くから聞こえるMCの声。一種独特な興奮と緊張感が空気中に混ざり合っていた。その騒動の中心にあるのは、やはりこれから始まる種目、その舞台となる二つの鉄塔だった。

 

鉄塔はそれぞれ異なる色に照らし出され、その鮮やかな光が闇夜を彩っていた。青と赤の強烈なコントラストが、戦いの厳しさと情熱を象徴しているかのようだった。また、その間には薄暗い照明が設けられ、お互いの塔が見える範囲に留まっていた。

 

MCの声が会場に響き渡り、人々の興奮は急速に高まった。「ウェルカム!!!!第二種目ゥウウ!!!!」彼の声は独特の調子で、深夜の闘技場に更なる活気を注ぎ込んだ。

 

「第一種目でほとんどの参加者が死んじまうせいでこいつをオープンするのは、2週間ぶりだぜェ!!!!アイアンポールジュノサイド!!!!」とMCが叫び、会場は大きな歓声とともに沸き返った。皆が待ち焦がれていた種目がようやく開幕するという期待感と興奮が会場を支配した。

 

「ルールは簡単、このクソしなる100mの鉄塔を頂上まで登りきり、どちらかが死ぬまで上でやり合って、どちらかが無事に生還したら勝利だぜ。妨害・飛び移り何でもOK...!!!」とMCがルールを説明し、参加者たちの緊張感がピークに達した。

 

そして、その中にタイチもいた。彼の周りには狂気と興奮が渦巻いていたが、彼自身は冷静さを保ちつつも、心臓が高鳴るのを感じていた。これからの戦いが彼の運命を決定づけるという事実が重くのしかかっていた。

 

「それで今回はイカれた二人が一対一でバトルするぜ!!!!」とMCが叫び、会場の興奮は最高潮に達した。人々は声を上げ、応援の言葉を叫び、期待に胸を膨らませた。二つの鉄塔が闇夜に浮かび上がるその瞬間、全ての目はタイチともう一人の挑戦者に注がれていた。

 

「へへへ...相手はチャイニーズか...楽勝ってヤツだぜ」と、タイチの対戦相手が皮肉たっぷりの声で言い放った。彼は鮮やかな黒い肌を持つパルクールの常連で、その筋肉質な身体からは自信と自己顕示の匂いが立ち上っていた。

 

タイチは一瞬その挑発的な言葉に目を細めたが、すぐに自身もまた挑発する言葉を放った。「てめぇが相手か...少しばかり機敏だからって調子こいてんじゃねぇぞファッキンニガー」

 

タイチの言葉が会場に響くと、オーディエンスから一斉に大歓声が上がった。自分たちの期待を裏切らない二人の勇者の対立に、観衆は熱狂し、興奮した表情を隠しきれなかった。

タイチの言葉が会場に響くと、オーディエンスから一斉に大歓声が上がった。自分たちの期待を裏切らない二人の勇者の対立に、観衆は熱狂し、興奮した表情を隠しきれなかった。

 

「オオオオオオオォォォォォォ!!」という絶叫が次々と空に向かって放たれ、歓声の波は闘技場全体を揺るがした。熱気と期待感で満ちた闘技場の中、タイチと黒人挑戦者の鉄塔への登頂戦がいよいよ始まる。その一部始終を目に焼き付けようと、観衆一人一人の目が輝いていた。

 

熱狂と期待感が高まる中、MCの声が会場を揺るがした。「プロミネンスファイアァアアアアアアアアアア!!!!!」彼の掛け声とともに、空気は一瞬凍りつくかのような静寂に包まれた。その次の瞬間、ブザーの音と共に、タイチと黒人挑戦者の身体が動き出した。

 

両者とも一瞬で鉄塔に飛びつき、手足を全力で動かしてその登頂を始めた。がむしゃらに身を預けた動きの中には、絶対に敵に負けられないという獰猛さが滲んでいた。

 

鉄塔を昇る彼らの姿は、まるで人間の限界を超えた猛獣のようだった。全身の筋肉を張り巡らせ、一つ一つの鉄棒を力強く掴み、次から次へと駆け上がっていく。

 

そして、それぞれが途中で相手を振り落とそうと手を離し、一瞬の攻撃を仕掛けていた。猛烈なパンチとキックが繰り出され、時には鉄棒から体を離しての空中戦も繰り広げられた。

 

その凄絶な闘いは観客を釘付けにし、その中でタイチと黒人挑戦者は互いに一歩も譲らない激戦を繰り広げていた。その姿はまるで昇天する勇者達のようで、その壮絶さは全ての者の心に深い熱狂と衝撃を残すこととなった。

 

両者の息は早くなり、汗が吹き出し始める中、タイチは怒りに打ち震えながらも鉄塔を昇り続けた。「クソッタレがァ!!!何だァ?このクソしなる鉄塔はよォ!!!」と叫び、鉄塔の冷たさと硬さが体に突き刺さる感覚にも耐えながら、必死に昇っていく。

 

その様子を見て、黒人挑戦者は獰猛な笑みを浮かべ、「チャイニーズ...テッペンに行く前に終わらしてやるぜ...」と言い放った。

 

その言葉と同時に、彼は身体をねじってジャンプし、タイチの鉄塔に乗り移った。彼は高さとタイミングを計算し、両足を前方に振り上げて、タイチに蹴りを浴びせた。

 

だが、その蹴りが空を切る寸前、「クソがァ!!!」と叫んだタイチの身体が急激にひねった。左手一本で鉄塔の支柱を握りしめ、全身の力を込めて反対側へと跳躍した。その一瞬、黒人挑戦者の足元にタイチの存在がなくなり、彼の鉄塔への乗り移りは失敗に終わった。

 

タイチの動きは一瞬で、会場を見守る人々はその動きを目で追うことさえ難しかった。そして、彼が黒人挑戦者のいた鉄塔にしっかりと着地した瞬間、彼らは息を呑んだ。

 

途端に場の雰囲気が一変し、鉄塔が入れ替わるというまさかの展開に、観客全員が声を上げ、そのダイナミックさに感嘆の声を上げた。

 

空間に広がる緊張感が、瞬く間に高まり、二人の身体が一斉に動き出した。タイチと黒人は、それぞれが自分の鉄塔を背に、体を振り子のように大きく揺らし始めた。

 

その振り子運動が力を増すにつれ、彼らの身体は全身を回転させ、絶叫と共に空へと舞い上がった。

 

「キエエエエアアアアアッッッ!!!」

 

それは、一触即発の緊迫した瞬間だった。二人の叫び声が高らかに響き、その共鳴が空間を揺らした。両手を離して、両脚で蹴りを放った彼らは、その瞬間、全てを投げ出す決意を見せた。

 

その一瞬、二人の足が空中で交錯し、力強い衝撃波が全体を包み込んだ。空中から見下ろす鉄塔の上は、それぞれの思いが交錯する戦場となり、彼らの蹴りが相討ちとなり、その衝撃で大きく後退した。

 

しかし、一度落下した彼らは、その落下にも屈せず、再び片手を伸ばし、鉄塔の足場に手を掛けた。その一瞬の動きは、まるでアクロバットのように見えた。

 

二人とも再び足を踏み固め、その強固な意志と共に、再度鉄塔を駆け上がり始めた。その力強い姿勢は、周囲の観客を圧倒し、その勇敢さに彼らはさらなる声援を送った。

 

彼らの闘志に満ちた姿が、会場全体を一層熱くさせ、その死闘の行方に全ての視線が注がれていた。

 

会場の中心部から突如として鳴り響いたのは、人間の耳を貫くような銃声だった。その音に観客たちは一瞬、全員が震え上がった。

 

その静寂を破ったのは、MCの轟音を超える声だった。

 

「ちなみに20分以内に決着がつかないと、この黒光りするマシンガンが、不戦勝としてお二人サンに火を吹くぜェ!!!」

 

その言葉が響き渡ると、場内は一瞬で冷静さを失った。悪魔のような笑い声が空気を裂き、観客たちはその狂気に満ち満ちた状況に、興奮と恐怖で震え上がった。

 

それは、その場にいる全ての人間が共有する、一種の生存本能と、狂気が交錯した一瞬だった。観客たちの視線は興奮と恐怖で激しく揺れ、その揺れは二人の闘技者へと向けられた。

 

会場の空気は一変し、それぞれの表情は、本能的な恐怖と、興奮による狂気でゆがんでいた。そしてその中にある狂気的な喜びは、まるで熱狂の渦となって、全体を包み込むように広がった。

 

タイチと黒人の闘技は、突如として時間という新たな敵を迎え入れ、その厳しい戦場はさらに深化した。

 

それは彼らがこれまで経験したことのない、全く新しい状況だった。二人の戦いは、一層その厳しさを増し、観客たちをさらに狂気へと誘い込んでいった。

 

その決定的な瞬間、タイチは上を見上げ、対戦相手の黒人がスイスイと鉄塔を登っていくのを見つめていた。彼の視線は黒人の背中を凝視し、その背中を見つめることで、タイチ自身の闘争心が再燃していた。

 

「クソ野郎が...スイスイ登りやがって…」タイチは黒人の背中を見つめながら、声にならない怒りを震わせた。その顔には激しい怒りとともに、かすかな冷たい決意が浮かんでいた。

 

「ムカつく心も沸騰して蒸発しちまいそうだ。」彼は固く唇を噛みしめ、その視線は更に鋭くなり、黒人の背中に向けられた。その目は炎を灯しており、その炎は黒人の背中を見つめることで、さらに燃え上がっていた。

 

「意地でも追い付いてプレッシャーかけねェとだなァ。」その言葉は、彼の心の中に秘められた強い決意と、それを支える猛烈な意志を示していた。彼は黒人に対する怒りとともに、自身に対する強いプレッシャーを感じていた。

 

そしてそのまま、タイチはその思いを力に変え、一歩一歩、鉄塔を登り始めた。その動きはまるで獅子のようで、黒人への追い詰める意志を示していた。

 

突如としてタイチの体から繰り出される動きに、観衆の注目が集まった。ある種の覚悟か、あるいは狂気か、その行動は会場全体を驚愕させた。なんとタイチは、一瞬で自身の服を脱ぎ捨て、全裸になったのだ。肌に降り注ぐライトの光は、彼の裸体を一層際立たせた。

 

しかし、タイチの行動はそれだけに終わらなかった。脱いだ服を全て結びつけ、命綱のような形状に作り上げた。これが何のために彼がそうしたのか、会場の誰もがその答えを問い掛けた。

 

そして、タイチはその作った命綱を現在の足場に巻き付けると、再び鉄塔を登り始めた。その動きは以前よりも確実で、速度もぐっと上がっていた。軽装化した彼の動きは猛獣のように敏捷で、自身を結びつけた命綱が彼の安全を保証し、さらに速度を上げていった。

 

全裸になりながらも、体から発散する男性的な生命力と、鉄塔に巻き付けた命綱という自身のアイデアは、観客たちの興奮を更に煽った。

 

そして何よりも、タイチが脱いだ服を命綱に変え、そのまま鉄塔を登り続けるという姿は、彼の強い生存意志と、勝利への執着を如実に表していた。

 

鉄塔の頂上へと到着したタイチと黒人は、幾度もの危険をくぐり抜け、信じられないほどの難関を乗り越えてきた。

 

その結果、二人が立っていた場所は、鉄塔の頂上だけではなく、文字通り死と生の狭間でもあった。鉄塔の先端は細く、互いに向かい合って立つだけでも危険を伴う場所で、その上で喧嘩を始めるなど、普通では考えられない行為だった。

 

しかし、二人は、あろうことか、その危険な足場で殴り合いを開始した。風が鋭く吹き抜け、鉄塔は微妙に揺れる。その不安定な状況で、彼らは一触即発の緊張感を胸に秘め、攻防を繰り広げた。

 

黒人は強烈なパンチを繰り出し、タイチもそれに応じて肘打ちを放つ。しかし、その度に鉄塔はしなる。その揺れに合わせて体を動かし、踏ん張り、次の一手を繰り出す。

 

鉄塔の頂上で繰り広げられる彼らの戦闘は、まさに一歩間違えば深淵へと落ちてしまう死闘だった。

 

観客たちは息を呑み、二人の行方を見守った。不安定な鉄塔の頂上での戦闘は、非情すぎるほどのスリルを感じさせた。だが、それでもタイチと黒人は、それぞれの生をかけて闘い続けた。その勇敢さと覚悟が、観客たちの心を掴んで離さなかった。

 

黒人の声が鉄塔の頂上に響き渡った。「これで終わりだぜチャイニーズ!!」と彼は宣言し、その言葉に力を込めてタイチに向かって強烈なパンチを繰り出した。殴打音は周囲に響き、それを聞いた観客たちは一斉に息を呑んだ。

 

パンチはタイチの体に直撃し、その衝撃が彼の身体を揺らした。彼の口からは苦痛のあえぎ声が漏れ、観客たちはその音を耳にして一瞬、時間が止まったかのような錯覚を覚えた。

 

しかし、タイチはまだ立っていた。彼の目には意志が宿っており、まだ闘志は消えていなかった。「さっきからァ...チャイニーズチャイニーズうるせぇんだよ!!!コラァ!!!!」と彼は叫び返した。

 

だが、黒人はその叫びを無視し、「口を動かしている暇があんのか?」と冷たく笑った。そして、その言葉とともに黒人はタイチに向かって強烈な蹴りを放った。

 

蹴りはタイチの体を直撃し、その衝撃は彼の身体を一気に鉄塔から突き落とした。タイチの身体は頂上から真っ逆さまに落下し、観客たちからは絶句の声が上がった。

 

その落下の瞬間、タイチの身体は鉄塔の影とともに輝く照明の光に照らし出され、そのダイナミックな光景は観客たちの記憶に深く刻み込まれた。その瞬間、会場全体は静寂に包まれ、タイチの落下する姿が唯一の動きとなった。

 

頂上で吹き荒れる風と共に、黒人は満面の笑みを浮かべた。「へへへ...ようやく落ちやがったか...所詮はチャイニーズはチャイニーズだぜ...」と勝利宣言の言葉が彼の口から漏れる。

 

それを聞いたMCは、大きな笑い声と共に、「ギャハハハハハ!!!!こいつはパルクールニガーの完勝かアアアアアアアアアア???」と大きく絶叫した。その声は会場中に響き渡り、観客たちも熱狂の頂点に達した。

 

しかし、その一瞬後、突然暗闇からタイチの姿が浮かび上がった。「クソ野郎が!!!戻って来たぜ!!!!」とタイチの力強い声が響き渡り、全ての視線が一瞬で彼に集まった。タイチは、飛び降りた鉄塔のしなりを逆に利用し、逆襲の瞬間を待っていたのだ。

しかし、その一瞬後、突然暗闇からタイチの姿が浮かび上がった。「クソ野郎が!!!戻って来たぜ!!!!」とタイチの力強い声が響き渡り、全ての視線が一瞬で彼に集まった。タイチは、飛び降りた鉄塔のしなりを逆に利用し、逆襲の瞬間を待っていたのだ。

 

タイチの体が大きく上下に揺れ、彼はそのエネルギーを足元に集め、地上から見える黒人に向かって強烈な飛び蹴りを放った。その蹴りは瞬く間に空間を切り裂き、黒人の体に突き刺さった。その一撃で黒人は鉄塔から突き落とされ、暗闇に消えていった。

 

「終わりだ!」タイチの声が再び響き渡り、観客たちは彼の勝利を確信する。タイチは全裸になっていたが、彼の服は命綱として彼の命を救っていた。

 

タイチは力を振り絞り、全裸の身体で命綱となった服をつかみ、勝利の余韻に浸る間もなく鉄塔を降り始めた。

 

頂上での闘いと紐の荷重による疲労が体に重くのしかかり、各々の足場の乗り換えが一苦労であった。毎回の一歩が痛みとともに心に深く刻まれ、息は荒く、視界は揺れていた。

 

それでも彼は進み続けた。「畜生...もうすぐだってのに、もう力が...」と声に出して自分自身を奮い立たせようとしたが、言葉はふらつきながら途切れ、最後の力も消耗したタイチの握力がゆるんでしまった。

 

「おい!!!!」と観客の誰かが叫んだが、彼はもはやその声を聞くこともできず、体は自由になってしまった。彼の身体は高さ58メートルの鉄塔から無防備に落ち、地上に向かって高速で落下した。

 

観客たちは息をのみ、一瞬、会場全体が静まり返った。

 

落下の瞬間、タイチの意識は彼の身体から遠ざかり、彼は何も感じなくなった。唯一残った感覚は、遥か遠くにある熱狂的な声援だけだった。彼の体は鉄塔の影に消え、暗闇に包まれ、最後の意識が消え去った。タイチの闘いは、そこで一度終わった。

 

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タイチの意識は不確かな暗闇に包まれていた。しかし、この暗闇は単なる無意識の中の闇ではなかった。彼が見ているのは一つの悪夢だった。彼は無力に押し流され、何も抵抗できずに悪夢の世界に引き込まれていった。

 

その中で彼を待っていたのは、彼の宿敵ネームレスだった。彼の存在は悪夢の中でさえ重く、真剣なまなざしでタイチを見つめていた。

 

ネームレスの声が深く響き渡った。

 

「聞け、全ての国民達よ。平和はやがて終わる。民主主義に資本主義。彼等にはもう世界を導くだけの権威も力も残されていない。これにより押さえ付けられていた国民の暴走は活発化するだろう。そして貧富の差の拡大が互いの憎しみを煽る。大国の管理から外れて世界中に拡散する核兵器それらがいつどこから飛んでくるか分からない時代が間近に来ている。」

 

言葉は次々と、あるいは悪魔的な冷笑をもってタイチに投げつけられた。

 

「たとえ同盟国であろうがいつ敵になってもおかしくない。それどころか、同じ国の国民どうしが殺しあう状況がこれから訪れるだろう。昨日までの隣人が、戦友が、家族が、お前に銃を向けるかもしれない、お前を殺すかもしれない。」

 

ネームレスの言葉は止まらず、その冷酷さは悪夢をさらに深く切り裂いた。

 

「お前を恨んでる人間はいないか?お前は本当に誰かに必要とされているのか?お前を殺してやりたいと思っている人間は本当に誰もいないのか?お前達の中に紛れているぞ?いつでもお前達を殺す為に。」

 

ネームレスの言葉が冷たく、タイチの心を抉り取った。

 

「お前達の敵はお前達のすぐ隣にいる。お前か…いやお前だったか!!この地球は無数の伸管を突き刺した巨大な爆薬のようなものだ。世界はたやすく壊れてしまう。たった一発の核ミサイルで、ただ一発の銃弾で…たった一つの過ちによって...」

 

そして、彼はタイチを直視した。「社会に忠を尽くすか、それとも個人に忠を尽くすか、国か恩師か、任務か思想か、組織への誓いか、人への情か!そこまでして戦うべき理由とは...一体何だタイチ? そんなものお前に存在するのかな?」

 

その一言で、タイチの心は凍りついた。しかし、悪夢の中でタイチは逃げることができなかった。彼の身体は全く動かせず、ネームレスの言葉だけが彼の意識を完全に支配していた。

 

その刹那、彼の心の中に混乱と無力感が広がった。しかし、その混乱が最高潮に達したとき、彼の中に新たな感情が芽生え始めた。それは怒りだった。

 

彼の心が怒りで震えるのを感じながら、タイチは言葉を探した。どれだけ自分が無力であっても、ここで黙っているわけにはいかないと彼は感じていた。彼はネームレスに対抗するための力を必死に探した。

 

彼の心の中から湧き上がる言葉は、ネームレスの言葉に対する強い反駁だった。「何を言っているんだ、ネームレス!!」

 

タイチの声は彼自身の驚きを超えて、悪夢の中に響き渡った。その言葉はただの叫び声ではなく、彼の意志の表明だった。彼がネームレスの言葉に屈することはないという強い決意を示すものだった。

 

しかし、それは彼が目覚める前の最後の抵抗だった。彼の意識は急速に悪夢から遠ざかっていく感覚に襲われ、彼の叫び声も徐々に遠くなっていった。ネームレスの言葉とともに、悪夢は彼の意識から消えていった。

 

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